その9: 親日の歴史、豊かな観光資源
日本企業がトルコとの貿易・販路開拓のために進出を行う、また、M&A やJVを目的としたトルコへの投資であれ、その業務が決まった場合には日本企業の担当者そしてその家族はトルコでの新たな生活が始まることを意味します。赴任先の国が日本人に対してどんな接し方をするのか、その国の習慣や国民性など、大変気になるところです。
ご安心ください。トルコは親日の国です。ここでは、親日の歴史についてお伝えします。今月の4日に東京渋谷NHKホールで日本・トルコ国交樹立90周年記念のメモリアルコンサートが開催されました。そのテーマは「命をかけた救出劇 〜エルトゥールル号が結ぶ、日本とトルコの友情〜」でした。まさに親日の歴史を綴ったコンサートでした。以下、その時の解説文をご紹介します。
・ ・・1890年9月、日本を表敬訪問していたトルコの軍艦エルトウールル号が、台風に遭遇し和歌山の串本沖で沈没した。異変に気づいた住民たちは果敢にも救助に当たった。荒れ狂う海、吹きすさぶ風、叩きつける雨、しかも漆黒の闇である。住民らがいかに決死の覚悟で救助にあたったか、想像に難くない。彼らの勇敢な活躍のお陰で、絶望的状況の中、69人の乗組員が命を救われた。
・ それからおよそ90年、イラン・イラク戦争が勃発した。イランはホメイニ師によるイスラム原理主義革命でパーレビ体制が崩壊した直後であり、当時のアメリカはイラクを支持して敵対していた。1985年3月、時のフセイン大統領が48時間後上空を通過する航空機を全て無差別に撃墜すると宣言、イランに駐留する外国人たちは脱出を目指してテヘランの空港に殺到した。ところが、各国が救援機を差し向ける中、軍事行動の出来ないわが国は動けなかった。
・ イラン駐在の邦人たちに脱出の手段はなかった。文字通り取り残されたのだ。タイムリミットは刻々と迫ってくる・・・。その時、一機の飛行機が飛来した。絶望の淵から日本人を救うため、戦火をくぐって迎えにきたトルコの飛行機だった。合い言葉は「エルトゥールル号の恩返し」。彼らは忘れていなかった。在留邦人は216人全員、無傷で帰国することができた。攻撃まで残り75分まで迫っていた。まさに九死に一生を得たのである・・・。
「海で受けた恩を空で返す」というトルコ人たちの心意気と熱い思いはその後のトルコと日本の関係を一層強いものへと導いてくれました。エルツゥールル号の話しは、トルコの小中の学校のテキストでも一時紹介されていたようです。
そんなことでトルコ人の多くが日本人に対して極めて親日のイメージを抱いてくれています。
次に観光面ですが、トルコは世界各国からの観光客数で世界第6位にランキング、観光地としても圧倒的な魅力を誇っています。ビジネスでトルコを訪問の際も、世界遺産のあるイスタンブールやカッパドキア、パムッカレ、その他多くの素晴らしい歴史と文化と今のトルコを満喫いただけます。
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