トルコの国旗の由来については、様々な説がある。あるトルコ通の方から聞いて衝撃だったのは、コソボの戦い(1389年)で流されたおびただしい血の海に、三日月と水星が映って見えたとされ、それをスルタン・ムラト1世が国旗としたという説。
ちょっと調べてみると、他の説として出て来るのが、オスマン1世が夢をみて、その夢の中で彼の胸から出てきた三日月と星が拡大し、コンスタンティノープル陥落の前兆を知らせたというもの。更に、1453年コンスタンティノープルの陥落の夜にメフメト2世が三日月と星を夜空に見たという説など、だんだんと創作の世界に入ってしまう。
最も信じられている説としては、トルコ革命の指導者、初代大統領ケマル・アタテュルクがトルコ革命での勝利の夜に戦場を歩いていて、サカルヤの岩山で流された血の海に、三日月と星が映って見えたとされるものである。いずれにしても、この三日月と星の組み合わせはイスラム教のシンボルとされている。
翻って、日本の日の丸。白地に赤の日章旗。江戸期には「白地に赤丸」が意匠の一つとして普及し、徳川幕府は公用旗として使用したらしい。家康ゆかりの熱海の湯を江戸城まで運ばせる際に日の丸を立てて運んでいる。そこから「熱海よいとこ日の丸たてて御本丸へとお湯が行く」という唄が生まれたという。
日章旗が国旗として日本の外で初めて掲げられたのは1860年のこと。日米修好通商条約の批准書交換のため、外国奉行新見豊前守正興を正使とする幕府使節団がアメリカ合衆国に派遣されたときに遡る。勝海舟や福沢諭吉等一行は、アメリカ軍艦ポーハタン号と日章旗を掲げた咸臨丸に分乗して太平洋を横断した。
使節団はサンフランシスコに到着し、その後、陸路・海路を経由してワシントンD.C.へ。更に、使節団一行はニューヨークを訪問し、そこで初めて日章旗と米国の星条旗がブロードウェイに掲げられたようである。
逸話として、明治時代には、イギリスかフランスかオランダが日の丸の意匠を買い取ろうとしたという話しがある。この日の丸買収劇は、伊本俊二の著作『国旗 日の丸』の中で、「1874年(明治7年)の春頃にイギリスが買収(当時の500万円)を申し出て、寺島宗則外務卿を相手に交渉した」としている。
トルコも日本も基調となる色は共に赤と白である。
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