2015年2月17日火曜日

トルコ女性人権問題の分岐点『オズゲジャン・アスラン殺害事件』




今、ある事件がトルコで大きな話題となっています。



去る211日、トルコ南東部の地中海に面した町メルシンで、一人の女子大生が行方不明となりました。

女子大生の名前はオズゲジャン・アスランメルシンのチャー大学で心理学を学ぶ20歳の大学生。帰宅の連絡からいくら待っても帰ってこない娘を心配した家族から捜索願が出された2日後の213日、オズゲジャンは崖の下の川底で焼死体となって発見されました。


216日、容疑者の男とその父親を含む共犯者二名が逮捕されました。容疑者とされるスプヒ・アルトゥンドケン(26)は妻帯者で一児の父親でもあるミニバスの運転手で、事件当日、20時ごろに乗客として乗せたオズゲジャンに対し暴行におよび、抵抗されて殺害、隠ぺいのため友人と父親に相談し、遺体にガゾリンをかけて燃やした、と供述しています。その際、友人の助言により、抵抗された際に顔を引っ掻かれているため、遺体の爪に残されたDNAから足がつくことを恐れ、両手を手首から切断した上で火をつけた、とも供述しており、その卑劣でおぞましい犯行にトルコ全土が震撼しました。


14日のオズゲジャンの葬儀には何百人もの女性たちが駆けつけ、聖職者からの「女性は下がって」という要請も意に介すことなく最前列を埋め尽くし、被害者の棺は女性たちの手によって運ばれました。また、オズゲジャンの死を悼み、その自分勝手で卑劣な犯行に対して怒りに燃える人々が立ち上がり、メルシンはもとより、イスタンブールやアンカラなど大都市で抗議のデモ行進が行われ、何千人もの人々が参加しました。

 

今回の事件に関して、216日のCBC Newsは【トルコにおける女性への暴力に対する戦いの分岐点】との見出しで報じています。

 

実は、ここ近年トルコでの女性に対する暴力及び死傷事件は急激に増加しているというデータがあります。公的データによると、2002年から2009年の間で、女性に対する年間の暴行事件の件数は66件から953件と、実に1400%も増加しているそうです。その後一時減少は見られたものの、2014年上半期で129人もの女性が殺害されており、前年の同時期よりも88人増加。2014年には133人の女性がドメスティック・バイオレンスで命を落としており、前年比33%増加したとのデータが、警察・憲兵・法務省により議会に提出されているそうです。


こうした背景を受け、トルコでは女性に対する暴行罪や殺人罪に対してより重い刑罰を、という声が上がっています。政界でも、現在廃止されている死刑制度を再度導入するべきだ、との意見もあり、また性犯罪に対する刑罰として去勢を提案する声もあります。

女性の殺害やドメスティック・バイオレンスが後を絶たないのは男性支配社会のせいだ、とする見解がある一方で、「西洋的なライフスタイルがレイプを後押ししている」といった保守的な考えに固執する人々もあり、今トルコは女性の人権問題に揺れています。

 

エルドアン大統領は被害者の遺族の元に自分の二人の娘を送り哀悼の意を伝えました。また、ダウトオール首相は「女性に対して暴力を振るわんとする手を打ち砕く!」として、トルコ全土での女性に向けられた暴力に対する広範な運動を開始しました。しかし、事件が社会に与えた影響に比して政治的な動きが小さすぎる、との批判もあります。

 

一方、SNS上では爆発的なリアクションが見られます。#sendeanlat(あなたも話して)というハッシュタグで、著名な女優をはじめ何百人もの女性が自らが受けた性的暴行やセクハラ体験をシェアしています。また、#Özgecaniçinsiyahgiy(オズゲジャンのために黒を着よう)というハッシュタグで、女性が被害者となる殺人件数の増加に警鐘を鳴らすため、何千人ものユーザーが男女問わず黒い衣服を着用した写真を投稿しています。

こういった社会の反応に対し、エルドアン大統領は、この極悪非道な犯行は決して許されるものではないとした上で、次のように指摘しています。

「女性は神が男性に託したものである、と言えば、それは女性蔑視だとフェミニストたちが反発するが、彼らは我々の宗教や文明に関心がないのだ。我々の宗教では、『神が男性に託したものであるからこそ、男性は女性を保護しなければならない。女性を傷つけてはならない』と言っているのだ。」

イスラム保守派ならではの見解に、人々の激しい反発が寄せられています。

西洋的価値観とイスラム的価値観、どちらがどうと言うことはできません。
しかし、トルコが西洋化の方向で急激に近代化していく中で、従来のイスラム的メンタリティーを固持することが、社会に大きな亀裂を生じさせていることは確かです。
西洋的価値観の下に育った世代の女性にとって、「男性の保護下にあるべき女性像」というものは、セルフイメージとして受け入れがたいものであることは容易に理解できます。


今回のこの非道な事件がトルコ社会に投げかけた波紋は、トルコにおけるジェンダーに新しい価値観をもたらすことができるのでしょうか。
 
 
※ニュースソース※
 
 
 
 
 

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